「だから僕は音楽を辞めた」とはどんな曲?——基本情報
ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」は、2019年4月10日にリリースされた1stフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』のタイトル曲であり、全14曲の最終トラックだ。作詞・作曲・編曲はn-buna。
このアルバムは「音楽を辞めることを決意した青年・エイミーが、旅をしながら少女・エルマへ向けて作った楽曲集」というコンセプトで構成された物語型アルバムだ。14曲すべてがその物語の一部として機能しており、この曲はその全体の「結末」として置かれている。
【基本情報】
リリース:2019年4月10日(1stフルアルバム収録)
作詞・作曲・編曲:n-buna
アルバム:『だから僕は音楽を辞めた』(全14曲)
トラック:アルバム最終曲(14曲目)
アルバムの物語構造——エイミーとエルマ、そして「模倣」
この曲を深く理解するには、アルバム全体の物語構造を知っておく必要がある。
主人公の「僕」ことエイミーは、かつて音楽に全身全霊を注いでいた青年だ。彼の音楽の動力源は「エルマ」という少女への感情——エルマを描くために、エルマへ届けるために、彼は曲を書いた。エルマは単なる恋愛の対象であるとともに、エイミーにとって音楽そのものと同義の存在だ。「音楽≒エルマ」という等式が、アルバム全体を貫く核心だ。
n-bunaはこのアルバムについて「自分の思想や過去の自分が思っていたことなど、リアルな部分を極限までぶち込もうと思った」と語っており、東伏見・小平・富士見通りなど実際に住んでいた街の名前が歌詞に使われているほど、個人的な経験が色濃く投影された作品でもある。
また初回限定版には、エイミーがエルマへ宛てた手紙・歌詞・旅先の写真を収めた木箱が付属しており、リスナーがエルマへの手紙を読むという体験として設計された。さらにアルバム最後の手紙ではオスカー・ワイルドの「人生は芸術を模倣する」という言葉が引用されており、翌年リリースされた2ndアルバム『エルマ』ではエルマがエイミーの残した芸術を模倣する物語へと続いていく。

歌詞の意味考察①——「辞めた筈のピアノ、机を弾く癖が抜けない」
曲の冒頭でエイミーは音楽を辞めた後の喪失感の中にいる。「将来何してるだろうね」という問いかけに「音楽はしてないといいね」と返す——これはエルマへの言葉であり、同時に自分への呪いのような言葉だ。
「辞めた筈のピアノ、机を弾く癖が抜けない」——ここが最も痛切な一節だ。音楽を辞めたのに、指が勝手に机の上でピアノを弾いてしまう。意志で辞めることはできても、身体が音楽を覚えている。「辞めた」という事実と「辞められない」という身体の事実が、一行に同居している。
歌詞の意味考察②——「防衛本能」が繰り返される理由
この曲の最大の特徴のひとつが、「〜だって防衛本能だ」という言葉の繰り返しだ。「正しいかどうか知りたいのだって防衛本能だ」「ラブソングなんかが痛いのだって防衛本能だ」「正しい答えが言えないのだって防衛本能だ」——この反復は何を意味するか。
「防衛本能」とは、傷つくことへの恐れから自分を守ろうとする本能的な反応だ。エイミーは「正しさを求める」「ラブソングが痛い」「答えを出せない」——これらすべてを「どうせ自分を守ろうとしているだけだ」と自己分析している。感情に正直になれず、すべてを「防衛本能」と名付けることで距離を置こうとする——これはある種の感情の自己否定だ。
「あんたのせいだ」という言葉も繰り返される。エルマへの怒りとも、愛情の裏返しとも読める。傷ついた人間が怒りをぶつけながら、実は誰より愛していることを示すこの矛盾こそが、エイミーという人物の核心だ。

歌詞の意味考察③——「満たされない頭の奥の化け物みたいな劣等感」
中盤で急激に重くなるこのフレーズは、エイミーの内面の最も暗い部分だ。「幸せな顔した人が憎い」という感情を「どう割り切ればいいんだ」と吐露する——これは自分の劣等感への自覚であり、その感情が消えないことへの苦しさでもある。
「本当に年老いたくないんだ / いつか死んだらって思うだけで胸が空っぽになるんだ」——ここでは死への恐怖ではなく、死を想像したとき胸が空っぽになる感覚が描かれている。これは喪失の予感への麻痺ともとれる。エルマという存在を失った(あるいは失いつつある)エイミーにとって、自分の死を想像すること=エルマとの記憶の消滅を想像することだから、胸が空っぽになるのだ。
歌詞の意味考察④——最後の一節「売れることこそがどうでもよかったんだ」の真意
曲の最後、エイミーは最も核心に近い言葉を絞り出す。「僕だって信念があった / 今じゃ塵みたいな想いだ / 何度でも君を書いた / 売れることこそがどうでもよかったんだ / 本当だ 本当なんだ / 昔はそうだった / だから僕は音楽を辞めた」
ここでようやく「なぜ音楽を辞めたのか」の答えが示される。エイミーが音楽を始めた理由は純粋に「エルマを描くため」だった。売れることも、有名になることも、どうでもよかった。しかし時間とともに、いつの間にかその初期衝動が「塵みたいな想い」になってしまった。最初の信念を見失ったとき——だから音楽を辞めた。
「本当だ 本当なんだ」という念押しは、自分自身への言い聞かせだ。誰かに向けているのではなく、自分がまだそれを信じたいという切実さが滲んでいる。そして「昔はそうだった」——今はそうでないことの静かな認定でもある。
アルバム『エルマ』との対称構造——「音楽を辞めた者」と「音楽を始めた者」
2019年9月にリリースされた2ndフルアルバム『エルマ』は、このアルバムのアンサー作品だ。エルマがエイミーの残した芸術に触れ、それを模倣するように音楽を始める物語——「音楽を辞めた者」と「音楽を始めた者」が対になっている。
両アルバムの収録曲タイトルが対になっていること、n-bunaが「芸術の模倣という概念を表現したかった」と語っていることからも、この2作品は「エイミーの旅の終わり」と「エルマの旅の始まり」という表裏一体の作品として設計されている。オスカー・ワイルドの「人生は芸術を模倣する」という思想がその土台にある。

まとめ——「だから僕は音楽を辞めた」は「辞める理由を探した曲」だ
ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」は、タイトルが示すような「音楽を辞めた事実の報告」ではない。歌詞全体を通じてエイミーが行っているのは、自分が音楽を辞めた「本当の理由」を探し続けるという作業だ。
防衛本能という言葉で感情を遠ざけ、あんたのせいだと怒りをぶつけ、劣等感を化け物と呼び、そしてようやく最後に「昔はそうだった」と認める——この曲の全行程が、一人の人間が自分の喪失と向き合うプロセスとして機能している。n-bunaが「リアルな部分を極限までぶち込んだ」と語った通り、この曲には作り物の感傷ではなく、本物の混乱と痛みがある。


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